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□□□新宿区戸山の人骨ミステリー□□□
平成へと時代が移り変わったころ、東京・新宿区戸山の建設現場土中から多数の人骨が発見されるという事件が起こった。その由来も身元も、いまだにベールに包まれたままである。DEEPがお話します。
ミステリアスな人骨は、1989年7月22日、早稲田大学文学部に隣接する約2万平方メートルの厚生省国立予防衛生研究所などの移転先用地の南側現場で、パワーショベルによる掘削作業中に発見された。
このとき、掘削中の作業員が地下2メートルの土中から頭蓋骨を発見、びっくりして警視庁牛込署に通報したのが、謎に満ちた人骨ミステリー事件の発端だった。そして、さらに周囲を調査したところ、なんと、頭蓋骨や大腿部など35体もの大量の人骨が出てきたのである。
ただちに、これらの人骨は警視庁科学捜査研究所に持ち込まれて鑑定された。ところが、紫外線を当てても蛍光反応がほとんど出てこなかった。「すくなくとも20年以上は経っており、犯罪性はない」そう断定した同研究所は、新宿区役所に発見された骨を引き渡した。
しかし、なぜ、35体もの人骨がまとまって出土したのか、ミステリーはいっそう深まった。周辺住民のなかには、「戦災で死傷者がかなりでていて、身元のわからない犠牲者を埋葬したのかもしれない」と指摘する者もあった。
だが、発見された人骨は、いずれも頭蓋骨と大腿骨などだけで、しかも損傷などの跡も認められず、仮埋葬された戦災の犠牲者とは明らかに異なる形状をしていたため、陸軍軍医学校との関連がとりざたされた。
そしてすぐに憶測されたのが、「人体実験の名残」ではないか、というものだった。人骨が発見された現場は昭和4年から20年4月まで、軍医養成のための旧陸軍軍医学校があった場所で、士官候補生を対象にした軍医機関と東京第一陸軍病院も併設されており、さらには、同学校内には、中国大陸で細菌や毒ガスの人体実験を行ったとされる、あの「第七三一部隊」で知られる石井四郎軍医中将が主管する「陸軍防疫研究所」もあったからである。
しかし、木造の建物だった陸軍軍医学校は戦災でほとんど焼失し、もともとが軍用地だけに内部の事情や空襲の被害の実態などは残念ながらよくわからないのだ。その後、同軍医学校の元解剖助手は、「戦時中、中国東北部から極秘に運ばれてきた死体で人体標本を作った経験があり、今回見つかった人骨は、このときのものだと思う」と証言した。
しかし、これに対して当時の教官は、人体標本づくりは認めながらも、「戦傷研究のため人体標本は作ったが、使用した遺体はすべて中国東北部で戦死した日本兵だけ。それも遺族の了解を得ており、解剖後は所属部隊に返還している」と証言している。
こうした旧軍医学校関係者の証言をもとに、新宿区は同年9月に人骨鑑定を決定し、国立博物館に対して人種、死亡時期、年齢、性別などの解明を求めた。ところが、鑑定依頼を受けた国立博物館は、複雑な背景をもったこの謎の人骨問題に関わるのを恐れてか、「新聞などで見るかぎり骨は戦時中のものであり、古い埋蔵物を調べるうちの分野とかけ離れている」として、この人骨の鑑定を拒否してしまったのだ。
その後、法医学の専門スタッフを擁する私立医大二校に相談したところ、研究者自身からは鑑定受諾の意向が示されたが、大学側に拒否されてしまい、鑑定は暗礁に乗り上げてしまった。
こうして、工事現場から突如出土した35体もの人骨は、鑑定を引き受ける機関もなく、身元も由来もわからないまま、無縁仏をして東京・葛飾区のさるお寺に埋葬されたという。