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東京の繁栄を支えた”性風俗”

 なぜ日本は世界最高の性風俗になったのだろうか?その秘密は「江戸時代」までさかのぼる。
 徳川幕府によって開府された江戸は、17世紀には人口100万人を突破し、世界最大の都市となる。が、一方で江戸は、幕府の役人(御家人・旗本など)と江戸造成の労働者などが集中、極端に女性の少ない都市だった。

 男女比はなんと7対3に及び、身分差もあり、実質、10人のうち8人は結婚できなかったといわれている。これを憂慮した幕府は、治安維持のために「遊郭」を設置するのだ。これが吉原であり、新宿、品川、板橋など五宿と呼ばれた御用遊郭宿もあった。

 もちろん、これだけだでは一般庶民まで回らず、庶民向けに「岡場所」と呼ばれる違法風俗地帯が数多くできた。その代表的な岡場所が深川。その深川で生まれたのが「芸者」だった。

 吉原などの政府公認の遊郭では、芸事は、男が担当する。それが岡場所では、女性にやらせ、さらにお金を払えば、セックスもさせた。これが世界的に有名な「ゲイシャガール」となっていくのである。まさに違法な風俗ゆえの庶民の知恵であろう。

 また、街には数多くのライトな風俗が登場。茶屋には「茶汲み女」、料亭には「酌取り女」、宿には「飯盛り女」と呼ばれる女郎(売春婦)など、今で言えばネオン街のような盛り場も増えていった。かくして江戸は、江戸時代270年という歴史のなかで、世界でも類をみない「性風俗」が発展していったのである。

 これは明治維新後も代わりはしなかった。首都となった東京は、明治政府役人、首都防衛の軍人、首都改造や殖産産業用の労働者が大量に流入、やはり、女性の比率が極端に落ちてしまい、江戸から続く性風俗は、いっそう、発展することになる。

  この明治、大正時代の代表的な風俗が「カフェー」で、これは女給(女性の給仕)がいる西洋風酒場のことで、そこで現在でいえば「おっぱいパブ」「ランジェリーパブ」「ピンサロ」のようなサービスが毎夜繰り広げれられていたらしい。カフェーのメッカである銀座には、そんな店が数千軒もひしめきあっていた。

 戦後、東京には高度経済成長を支えるための、地方の農村部から若者が大量に流入、70年代まで、男女比はいっこうに改善されなかった。当然、この時代も性風俗は必要不可欠なものとなり、世界第2位の経済大国の労働者たちを慰撫する性風俗が花開いていく。

 それが「泡踊り」のサービスを開始した『トルコ風呂(ソープランド)』に代表される性風俗産業なのである。江戸時代から戦後まで、400年に渡って東京は、常に世界有数の人口と経済力を誇る大都市であった。この繁栄を支えてのは世界最高の「性風俗」だった。

 性風俗があるからこそ優秀な男を大量に集めても機能してきた、と言い換えることができる。東京は世界でも稀な、性風俗によって発展してきた都市なのである。

 ちなみに「泡踊り」のトルコ風呂を世界に紹介したのは、「シベリア超特急」の水野晴朗である。昭和46年頃、水野はハリウッドの大物俳優たちを次々と来日させ、それで大手配給会社の宣伝部長に出世した。その出世を支えたのがトルコ風呂だった。

 当時の主演スターたちは当然の如く極東の島国に出向く大物スターは少なかった。ところが水野が頼めば何故かみんな喜んで来日した。その秘密こそトルコ風呂への招待だった。水野は来日する大物スターを「レッツゴー、ジャパニーズバス」と次々に吉原へ連れていった。

 昭和58年(1983年)、事件は起こる!水曜ロードショーの司会者だった水野の招待でアランドロンが来日、吉原の「歌麿」の丸千代嬢のテクでメロメロに・・・・・。「アランドロンをメロメロにしたトルコ嬢」と記事になり、そののち、このことが「世界的な色男スターを虜にしたジャパニーズバス」として世界に打電!

 日本のトルコ風呂はその名を世界に轟かす。だが、この騒動がキッカケでトルコ政府の怒りを買い、『ソープランド』に改名することなる。

 その後、日本には数々の性風俗が花開きどれもが世界に類を見ない高品質のサービスを提供している。観光に訪れる外国人の目当ては以前のような家電用品ばかりではもはやない。日本の性風俗もまた外国人たちにとって憧れの「メイドインジャパン」なのである。 
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