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アルプスのミイラ「エッツィ」の呪い

 1991年9月19日、イタリアとオーストリアの国境近く、標高3200メートルのアルプスの氷河から、凍結しミイラ化したひとつの死体が発見された。そのミイラに関わる悲劇とは?
 調査の結果、このミイラはなんと5300年も前の人間の死体だという事実が判明した。かのツタンカーメンよりも古い、世界最古のミイラの発見である。凍結していたため、保存状態もきわめて良好だった。

 ミイラは、発見された場所エッツ渓谷にちなんで「エッツィ(またはアイスマン)」と名づけられた。エッツィ発見のニュースは、あっという間に全世界を駆けめぐった。5300年前といえば、新石器時代である。これほど昔の人間がほぼ完璧な形で、われわれの目の前に現れたのだ。この事件は、まさしく考古学史上の大発見だったといえる。

 エッツィのミイラはいま、発見された場所に最も近いイタリア、ボルツァーノ市の南チロル考古学博物館に展示され、年間30万人もの観光客を集めているという。だが・・・・・、エッツィがここに至るまでには、実は恐ろしい悲劇が繰り広げられていた。そう、彼に関わった人々が7人も命を落としていたのだ。「エッツィの呪い」と名づけられたその悲劇とは、いったいどんなものだったのか?

 最初の犠牲者は、法医学者のライナー・ヘン博士だった。彼は氷河の中から見つかったエッツィを、素手で遺体袋に移した人物だった。1992年エッツィに関する新しい発見を学会で発表すべく、車を走らせていた矢先、事故を起こして死亡した。

 次いで、エッツィ発見当時、研究班のガイドをしていた登山家のカート・フリッツが慣れ親しんでいたはずの登山ルートで雪崩に巻き込まれて亡くなった。奇妙なことに一緒に雪崩に遭遇した数人の登山家は全員、生存している。実に運悪くフリッツのみが命を落としたのだ。なお、彼は発見されたエッツィを、ヘリを使って麓に搬送した人物でもある。
 さらに、レイナー・ホルツ。彼はドキュメンタリー映画製作のために、エッツィの遺体収容から修復作業の撮影を、ただひとり許可されたジャーナリストだった。その死因は脳腫瘍である。そして、登山家のヘルムート・シモン。同じ登山家の妻とともにアルプス踏破中に、偶然エッツィを発見した人物である。彼は2004年10月、同じくアルプス登山中に行方不明となり。捜索8日目に崖下90メートルに位置で、さながらエッツィ発見時を思わせる薄い氷と雪に包まれて死んでいたという。シモンが滑落死したその場所は、はからずもエッツィ渓谷。そう、エッツィが発見された場所だった。

 5人目の犠牲者は、シモンの遺体を発見したレスキュー隊の隊長ディエター・ワルネッカだった。ワルネッカはシモンの葬儀に出席したわずか一時間後、心臓発作でこの世を去っている。6人目の犠牲者が出たのは、2005年4月。その名前はコンラッド・シュピンドラー。インスブルック大学の考古学教授で、エッツィ調査チームのリーダーである。エッツィに関する本も出版しているエキスパートだ。シュピンドラーの死因は多発性硬化症による合併症だったといわれる。

 そして、同年10月21日。7人目の犠牲者が出た。オーストラリア、クイーンズランド大学の分子考古学者トム・ロイ博士である。ミイラのDNAを研究していた彼は、エッツィの調査をまとめる本の執筆中で、まもなく脱稿する予定だったという。ロイの遺体は死後、数日を過ぎて発見されたが、死因は不明。ただ、この12年ほど血管の病気を患っていたといい、ロイにその症状が出始めたのは、ちょうどエッツィ研究を始めたころだったという。

 発見後、十数年の間に7人もの死者を出した「エッツィの呪い」。ある宗教関係者は現在、博物館に眠るエッツィのミイラについて、次のように語っている。

 「眠りを妨げられた上、自らの体をいじくりまわされ、大勢の人々の目にさらされ、エッツィはおそらく腹を立てているのでしょう。このうえは彼の遺体をすみやかに発見現場に戻し、手厚く葬るべきです。さもないと、エッツィの怒りによる呪いの惨劇は、まだまだ続くかもしれません」

今も静かにエッツィの呪いは続いている・・・
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呪われた事件
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怪奇・超常現象

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