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世にも恐ろしいファラオの呪い

 この呪いが発動したと思われる例が一つだけあります。そう、世紀の発見と言われた古代エジプト第18王朝第12代目のファラオ、ツタンカーメンの墓の発掘にまつわるファラオの呪いをお話します。
 「この墓に一度たりとも足を踏み入れた者は、余がまるで鳥を襲うようにその者に襲いかかるだろう。そして偉大な神がその者を罰するであろう」

 エジプト古来の伝承によると、王の墓を暴いた者は呪われるという。それが上記の一文である。ファラオたちは墓を暴かれる事によって、永遠の眠りが妨げられることを恐れ、それを防ぐために呪いをかけたのだ。

 ツタンカーメンは10歳にも満たない年齢で即位し、おそらくは宮廷の内部抗争に巻き込まれ、わずか18歳で謎の死を遂げた少年王だ。その少年の呪いとは・・・。

 ナイル川中流の河畔にある”王家に谷”から少年王の墓を掘り当て「ツタンカーメン」の名で封印された玄室に到達したのはイギリス考古学者ハワード・カーターとそのカーターのよきパトロンでもある伯爵にして富豪のジョージ・カーナヴォン卿だ。

 まさしく考古学史上最大の大発見であった。 だが・・・。歓喜に満ちた開封のその日、呪いも機能しはじめた。

  玄室開封から一ヵ月後、カーナヴォン卿が突然、体調を崩して病の床についた。40度もの高熱を発した卿は10日間のわたって昏睡を続け、奇妙なうわごとを繰り返したあげく永眠した。

 果たしてカーナヴォン卿はツタンカーメンの呪いによって殺されたのだろうか?その死はあくまでも寿命であり自然死だったのだろうか?健康とはいえなかった卿が急死したとしても決して不思議ではないかもしれない。

 その後もカーナヴォン卿の死が呪いによるものであることを裏付けるかのように、発掘に関係した人々が次々が相続いて急死、または変死したのである。さらにカーナヴォン卿を看護していた看護師も変死した。不可解な事にファラオの墓を見物しただけの人など王墓に足を踏み入れただけの人々も相次いで急死、または原因不明の死を遂げたりしたのだ。結局、カーナヴォン卿の死からわずか6年間に死者の数は22人にも達したのである。

 ツタンカーメンの墓に足を踏み入れた人間が次々と変死しことについてはこれまでもさまざまな解釈がなされている。もちろん研究者の中にはあくまでも偶然のなせる業だと主張する人も少なくない。それらの人は高齢や持病により死ぬべきして死んだというのだ。しかしファラオの墓に足を踏み入れた直後、また、ごく短期間に多くの人が死んでいるのを考えれば、偶然がかさなっただけとはいえないのではないだろうか?

連続怪死事件の原因についてカイロ大学のエセディン・タハ博士は考古学者などが”特殊な感染症”にかかりやすいことを発見し
「ツタンカーメンの墓にまつわる多くの人々の死は、呪いによるものではなく、それは王墓に閉じ込められた古代の病原体によるものである」と唱えた。
タハ博士によればその病原体は玄室などの密閉された場所で3千年から4千年以上生きつづけ開封された瞬間、足を踏み入れた者たちがその病原体に感染したというのだ。

 同様なものとして、王墓に巣食っていたコウモリの糞に繁殖する寄生虫が原因ではないか。そのほか、エジプト伝来の毒薬説や自然放射能説など連続怪死事件の原因はさまざま取り沙汰された。だがもっとも有力視されているのはいまなお、タハ博士の説である。

 ちなみに、タハ博士は自説を発表後しばらくしてドライブ中に対向車と正面衝突して死亡した。
むろん、死因は交通事故によるものと思われたが遺体を解剖した結果なんと衝突直前に循環器不全のためすでに心停止し亡くなっていたことが判明した。

 博士もまたファラオの呪いの歴史の一ページに刻まれることになった。
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呪われた事件
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怪奇・超常現象

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