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ドライブの行き先

  今回のお話は霊とかとは少々違いますが私の友達に起こった出来事をお話しましょう。

 周りから見ればとても仲の良いカップルでした。次のデートはちょっと遠くまで車でも出して行こう。なんて話になり友達のカップルも混ぜ4人組みで山の中にある温泉に行くことになりました。

 距離もそれなりにあるということえ免許ある人が交代しながらのんびると目的地まで目指すこととなり、まず最初は彼が運転をしました。途中の休憩場所で運転を彼から彼女に代わり運転を再開することに・・・

 山道を走り目的地がもうすぐだということで社内も盛り上がっていました。下りの崖沿いの山道に差し掛かったとき社内の雰囲気が変わりました。

 彼女が突然スピードを上げ始めたのです。「何してんだよ。ちゃんと運転しろよ。」彼の問いかけにも彼女は何も答えません。車は崖を目指して走り出しとっさに彼がハンドルを奪い反対車線にぶつけて車を止めました。
 
 彼女のほうをとっさに向くとうつむいた彼女が一言「死ねばよかったのに・・・」

 彼に恨みがあったのか、彼を愛するあまりの表現がそういう行動にでたのか真相はわからないままでした・・・ あなたはパートナーと関係は良好ですか?
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怪奇現象

世にも恐ろしいファラオの呪い

 この呪いが発動したと思われる例が一つだけあります。そう、世紀の発見と言われた古代エジプト第18王朝第12代目のファラオ、ツタンカーメンの墓の発掘にまつわるファラオの呪いをお話します。
 「この墓に一度たりとも足を踏み入れた者は、余がまるで鳥を襲うようにその者に襲いかかるだろう。そして偉大な神がその者を罰するであろう」

 エジプト古来の伝承によると、王の墓を暴いた者は呪われるという。それが上記の一文である。ファラオたちは墓を暴かれる事によって、永遠の眠りが妨げられることを恐れ、それを防ぐために呪いをかけたのだ。

 ツタンカーメンは10歳にも満たない年齢で即位し、おそらくは宮廷の内部抗争に巻き込まれ、わずか18歳で謎の死を遂げた少年王だ。その少年の呪いとは・・・。

 ナイル川中流の河畔にある”王家に谷”から少年王の墓を掘り当て「ツタンカーメン」の名で封印された玄室に到達したのはイギリス考古学者ハワード・カーターとそのカーターのよきパトロンでもある伯爵にして富豪のジョージ・カーナヴォン卿だ。

 まさしく考古学史上最大の大発見であった。 だが・・・。歓喜に満ちた開封のその日、呪いも機能しはじめた。

  玄室開封から一ヵ月後、カーナヴォン卿が突然、体調を崩して病の床についた。40度もの高熱を発した卿は10日間のわたって昏睡を続け、奇妙なうわごとを繰り返したあげく永眠した。

 果たしてカーナヴォン卿はツタンカーメンの呪いによって殺されたのだろうか?その死はあくまでも寿命であり自然死だったのだろうか?健康とはいえなかった卿が急死したとしても決して不思議ではないかもしれない。

 その後もカーナヴォン卿の死が呪いによるものであることを裏付けるかのように、発掘に関係した人々が次々が相続いて急死、または変死したのである。さらにカーナヴォン卿を看護していた看護師も変死した。不可解な事にファラオの墓を見物しただけの人など王墓に足を踏み入れただけの人々も相次いで急死、または原因不明の死を遂げたりしたのだ。結局、カーナヴォン卿の死からわずか6年間に死者の数は22人にも達したのである。

 ツタンカーメンの墓に足を踏み入れた人間が次々と変死しことについてはこれまでもさまざまな解釈がなされている。もちろん研究者の中にはあくまでも偶然のなせる業だと主張する人も少なくない。それらの人は高齢や持病により死ぬべきして死んだというのだ。しかしファラオの墓に足を踏み入れた直後、また、ごく短期間に多くの人が死んでいるのを考えれば、偶然がかさなっただけとはいえないのではないだろうか?

連続怪死事件の原因についてカイロ大学のエセディン・タハ博士は考古学者などが”特殊な感染症”にかかりやすいことを発見し
「ツタンカーメンの墓にまつわる多くの人々の死は、呪いによるものではなく、それは王墓に閉じ込められた古代の病原体によるものである」と唱えた。
タハ博士によればその病原体は玄室などの密閉された場所で3千年から4千年以上生きつづけ開封された瞬間、足を踏み入れた者たちがその病原体に感染したというのだ。

 同様なものとして、王墓に巣食っていたコウモリの糞に繁殖する寄生虫が原因ではないか。そのほか、エジプト伝来の毒薬説や自然放射能説など連続怪死事件の原因はさまざま取り沙汰された。だがもっとも有力視されているのはいまなお、タハ博士の説である。

 ちなみに、タハ博士は自説を発表後しばらくしてドライブ中に対向車と正面衝突して死亡した。
むろん、死因は交通事故によるものと思われたが遺体を解剖した結果なんと衝突直前に循環器不全のためすでに心停止し亡くなっていたことが判明した。

 博士もまたファラオの呪いの歴史の一ページに刻まれることになった。
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呪われた事件

犯罪捜査とバッハの関係

 現代の犯罪捜査の鑑定法の一つに複顔法というものがあります。その複顔法と音楽家であるバッハとの関係を紹介しましょう。

 まず、複顔法とは身元不明の白骨死体が発見されたとき、頭蓋骨をもとに生前の顔を復元し身元を割り出すという技法。

 この方法を確立するために作曲家バッハが深い関係性があったんです。バッハが生前に協力したわけでなくバッハの死後。そうなんです。バッハの遺体が深く関係しているんです。

 バッハは晩年に失明してからは不遇な状況にあり、1750年、65歳で亡くなったあと遺体は自宅付近の教会付属の墓地に墓石もないまま葬られ、子供が20人もいるにも関わらず墓を守る人もいなかったと言われてます。

 死後100年ほどしてバッハの名前は世界的に有名になり多くのファンが墓地を訪れたが墓地を探すのは不可能といわれた。だが、1894年、教会の塀を拡張する工事のためバッハの墓があったであろう場所を掘ると3つの棺が出てきた。その中の一つが肖像画のバッハの顔の特徴と似ていた。そこで、関係者はそれがバッハの遺体ではないかと考え、骨に肉付けして確かめることを思いついた。当時の解剖学者たちが何人かの顔の部分の肉の厚さを測定してデータを集め、それを元に彫刻家が頭蓋骨に石膏で肉付けをしてみると晩年のバッハの肖像画にそっくりな顔が復元されたのである。

 現在、バッハの遺体はドイツのライブチヒの聖トマスの教会に安らかに眠り、頭蓋骨からバッハの顔を復元した方法は犯罪捜査に活用されるようになったわけです。
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もう一つの歴史
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